はい。季節ごとのSSですが、冬に関してはお題ジェネレーターを使わず、各自が「冬」について自由に想像を広げれば良いと以前に言っていた様な気がしました('ω')
今回はノイエルを舞台に、こんな話もありそうだなぁというものを一つ。
灰色の空を押し流す凍てついた白波は、夜更け過ぎに青い燐光へと変わり始めた。
「エーテルの風か‥‥毎度の事とはいえ、厳しいな」
いつもなら吹雪に見舞われても雪洞を掘って凌ぐだけだったが、先月末に始まった吹雪に用心して近くの洞窟に避難したのが幸いした。
ここはノイエルの猟師たちが避難場所に利用している北方山岳地帯の洞窟の一つで、冒険者が挑むネフィアほど広くはないものの、風雪が入り込まない程度の深さがある。もちろん、あの忌まわしいエーテルの風も。
干し肉はまだ少し残っている。水も、まぁ何とかなるだろう。普段から仲間たちと共に折を見て運び込んでいた薪を火にくべて、男は厚い毛皮のマントをきつく体に巻きつけた。
エーテルの風は、まだ止まない。
外では宙を漂う燐光が世界を青く染め、空には虹色の垂れ幕が揺らめいているのだろう。
生まれてこの方、村を出たことなど一度も無かったが、時おり訪れる旅人が語る「海」とは、こういう色なのだろうかと‥‥ふと考えた。
『昔々、人間が始まりの森に住んでいた頃、世界には息も出来ぬほどエーテルが満ち溢れていて、それは大きな魚が群れをなして空を泳いでいたそうな‥‥』
先代の村長の婆やの話が頭をよぎり、もしかしたら本当かもしれないと物思いに耽る。
もしかしたら、今も? それを確かめる気にはならない。
吹雪に比べれば、見晴らしは遥かに良い。そしてエーテルの風は足取りを軽くしてくれる。
だが、外はエーテルに侵食されて凶暴さを増した生物が徘徊し、たとえ彼らに出会わなくとも、遠からず自分もその仲間に加わる事になる。そうなるつもりはさらさら無い。
村で待つ妻は、幼い娘は元気にしているだろうか。
じっと待つのには慣れている。何日も雪原の真ん中で横たわり、獲物が通りかかるのを狙う事もある。
今頃は、村も聖夜祭を心待ちにしているのだろうか。癒しの女神が降り立った聖地と言われ、寒村には似つかわしくないほど立派な聖堂をひと目見ようと、各地から観光客が訪れるようになり、いつからか年に一度の盛大な祭りを開くようになった。それ以前は、年の暮れを祝って土着の神に捧げるささやかな祭りだったと聞いている。
娘には、王都で人気だというぬいぐるみを買ってやれるだろうか。もしかしたら、ラムネを飲みたがるかな。家族で異国の料理を味わうのも良さそうだ。
ふと、洞窟の奥で何かが揺れた。
大きさは人間の膝辺りまでだろうか。プチ? 少なくともイークやコボルドの類ではなさそうだ。
弓に弦を張っている余裕はない。腰のベルトに挟んだ手斧をそろそろと引き抜きつつ、音を立てぬ様ゆっくりと体勢を整える。食える肉ならありがたいが。
暗がりに向けて一気に歩を詰め、渾身の力で手斧を振り下ろす。
飛び散った熱い体液が、男の顔を濡らした。
「!? うぐぁっ、うぅーーっ!!」
刹那、灼ける様な痛みで思わず目を閉じのたうち回る。顔だけではない、返り血を浴びた手足やマントが悪臭を放ちながらボロボロと焼けただれていく。
切りつけたのはスライムだった。最初の一撃が致命傷だったのか、しばらく蠢いてから動きを止めた。
だが、目と手足を焼かれ衣服すら無くした今、たとえエーテルの風が止んでも村への帰路はあまりにも遠すぎる。
睡眠不足と空腹が、家族を待たせる焦りが、男の注意力を失わせた。
「リリィ‥‥パエル‥‥」
やがて、男の身体は洞窟の岩壁に凍りついた。
-了-
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