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2023/12/01

Elona冬のSS -2023-

 宿の二階から見下ろすキッカスの港に、はらはらと雪が舞い降りてゆく。
「驚いたろう、砂漠に雪が降るなんて」
一階の酒場で飲んでいた水夫が笑いながら教えてくれたのを思い出す。
マー・ニス・ファーラ大陸は何処も彼処も熱砂の土地と思われがちだが、海風の影響で沿岸は意外と温暖な気候らしい。
「パルミアも、今頃は冬の盛りか」
宵晒の外套に身を包んだ男は斜めに被った狐面を顔の正面に着け直し、絢爛な装飾の本を紐解いた。

イルヴァの真の歴史が記されたという本を読み進めるのは困難を極めた。
レシマスの深奥から切り離されたとはいえ、蓄積された魔力が書物として持ち運べるだけの形を維持しているそれは、どれだけページをめくっても見た目の前後が変わらない無限の物語であり、気を抜くと自分がよそ見をしているのかも解らぬ知の迷宮であった。
「数々の魔術防壁を重ねて、流し見程度に意識を保ってようやく、一日に十数ページ」
仮面の裏で、軽く苦笑いをもらす。
二年前に手に入れてからほぼ毎日読み進めているが、果たして終わりが来るのかどうか。
「いや、問題は――」
男が生きるシエラ・テール期の記述には既に見知っている内容も幾つかあったので、情報の比較も出来た。
先代所有者の薄暗い趣味に幾ばくかの理解を示しながら、所々で己の記憶に根付かない記述がある事に気づいた。
文字が読めないのではない。支離滅裂な内容というわけでもない。おそらく書に問題はない。
となると、考えられるのは――
「俺の頭脳に、何かしら枷が掛けられている?」
イルヴァに置かれた自分はイルヴァの制約を受ける。星を管理する神々の制約を。
神にとっても、知られたくない、忘れたい事があるのなら。
そしてそれを過去に実行したのなら。
おそらくは、気づかぬうちに眼をそらし、読み飛ばしている記述がある。

降り積もる雪が歴史を覆い隠してゆく。
溶け消える雪が記憶を洗い流してゆく。

「――だが、俺たちは1つの名を刻む事に成功したぞ。《忘却のヤカシャ》」
エウダーナの寺院で見つけたそれは、静かに、ひっそりと、目立たぬよう、ただ綴られてきたのだろう。
いつかその言葉の意味に気づいた時に、歴史を遡る足がかりとするために。
忘れている事がある。それに気づいたのならば、集中すべき場所は絞られる。
「ナーク・ドマーラ‥‥?」
おぼろげに浮かんできたシエラ期の一部が、そう呼ばれていた。
無い(エイス)が言葉の綾ではなく明確な個として記されている時期が、現代にも残っていた事に驚いた。
そして、神々の姿に隠れるように‥‥何かの影が。
「‥‥今日はここまでだな」

本を閉じ、仮面を外してこめかみを揉む。眼痛がひどい。
過去に深入りすべきかどうか、常に慎重な判断を突きつけられている。
力ある存在の醜聞に首を突っ込んで、ただの人間が生きていられるわけもない。
どの神を頼り、加護を得るべきか。敵に回してはいけない相手は誰か。
それを知るためにも、当時の神々が盛んに活動していた場所を調べる必要が出てきた。
「一旦戻るか。ノースティリスに」
残してきた従者が有能なら、家はまだ残っているだろう。
有能すぎて全財産を掻っ攫われているかもしれないが、その時はその時だ。

深夜、明朝の出港を待つ商船に冒険者が潜り込んだ。

-了-

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