正午を過ぎた曇天の空から、ちらほらと今年の冬を告げる白片が舞い降りてきた。
私は同僚のテッカーと共に、療養所の近くにある湖へ向かう。
いつ頃からか自殺の名所として名高いそこは、湖底から様々な声が聞こえるという噂も
あって、生死を問わず不審者が絶えない。
今日は、先日に目撃された入水者に向けて形ばかりの弔いを行う予定だ。
別の職員が見かけたその黒い人影は、湖岸の桟橋から身を投げたきり死体が見つからない。
そのため、素性も性別も分からぬまま、或いは見間違いだったのかもしれない。
が、とにかく私たちは決められた職務を遂行する。
「ネビンナ、船は出すのか?」
テッカーの問いに「ええ」と返し、小さな花束を落とさぬよう胸元で抱える。
見栄えを考えると待合室に飾ってあるポート・カプール産の造花を幾つか選びたかったが、
湖に腐らぬゴミを残すのは憚られた。
小船からもやいを外し、テッカーが乗り込む。
続いて私が乗り込み、船は湖面を静かに漕ぎ出した。
「この辺りでいいでしょう」
湖に目を向ければ、とめどなく舞い散る雪が水面に触れては音もなく消えていく。
「今日は随分と静かだな」
漕ぐ手を休めたテッカーが辺りを見渡して呟いた。
名物のささやき声だけではない。
イカれた邪教徒や森の化物、湖の怪魚、施設を抜け出した患者‥‥
いつもならそこそこ騒がしい場所が平穏に満ちているのは、一時の安らぎと同時に
僅かなささくれを胸に宿す。
船から身を乗り出し、湖面に花を手向ける。
ゆらゆらと浮かぶ花束に雪が積もる様をしばし黙祷に捧げた。
本当は、世界は緩やかな死を迎えているらしい。
ザナンの皇子に煽られ、海の向こうの森を焼いたのが不味かったとか。
ルミエストの匂いがする。顔料と大麻とインクの染み付いた風‥‥。
希望を掲げて建国したロスリアも、最近じゃあまり良い噂を聞かない。
イェルスとエウダーナの戦禍は一向に収まる様子もなく。
割と多いですよ、ここの患者。貴族の子息か知りませんが金はある。
南のジューアが着飾って、やることはいつもの火事場泥棒。
パルミアはジャビ王亡き後、レシマスの調査はうやむやになった。
せっかく逃げてきたのに、同郷で集まればそりゃあ残り香も消えないさ。
1人の冒険者がレシマスでイルヴァの真実に辿り着いたと聞く。
そのせいで世界を追放されたとも。
マニ神の不興を買うのは避けたい。
我々の生活はこのまま続くのか、それとも気づかぬうちに足元まで破滅が迫っているのか。
時おり不安になる。ふと心細くなっては気を紛らわし、そのうち忘れる。そして思い出す。
場所柄、心身を病む職員は多い。何人かはここの水底に澱んでいると先輩から聞いた。
私はもっと声を聞こうと水面の先に目を凝らし――
「――ッ!?」
背後のテッカーに左肩を掴まれ船へ引き戻された。
「ここにあるのは、益体もない喚き声だけだ」
同僚の声を浴び、私は船上にいる事を思い出した。
「ありがとう。‥‥そろそろ帰りましょう」
弔花は、いつの間にか沈んでいた。
-了-
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