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2016/12/01

Elona冬のSS -2016-

「魔法書は、できるだけ安全な家の中で読もう」
魔術師ギルドの掲示板にも貼られているくらい、ありふれた警句だ。
熟達の魔術士でも、魔法を完全に掌握できているわけではない。
時には書物に記された魔法の精髄を頭脳に染み込ませる前に、魔力の暴走を招くこともある。
そこで、他人に迷惑の及ばぬよう、勝手知ったる我が家などで準備を整えるのだ。

しかしポンソーは困っていた。親元で暮らす彼は、自室で音読などしようものなら母ちゃんに怒られてしまう。
「町中はガードがうるさいし、かと言って野原は寒いしなぁ」
窓の外では曇天から白い雪がぱらつき始めている。雨よりはマシだが寒いものはやはり寒い。
「もしギルドで失敗でもして、それをギルドの連中に見られたら。あいつらは絶対に笑いものにするんだ」
そこで、ルミエストの地下に広がる下水道に目をつけた。あそこなら人も少ないし、路地から階段を下りるだけで寒さもしのげる。少々匂いが気になるが、ギルドの実験棟も似たようなものだ。
「うっかり魔力が暴走しても、下水道に薬品を捨てている魔術師ギルドのよくある不始末でごまかせるさ。よし」
ポンソーは幾つかの魔法書を道具袋に押し込み、そそくさと部屋を後にした。

下水道出入り口の階段をゆっくりと下りていった先は、古びた樽や清掃用具が雑然と並ぶ小部屋だった。
奥に続く通路の手前には、木製の扉が設けられている。
「ん? 新しい扉だな。浮浪者避けか何かだろうか」
ポンソーは道具袋を床に下ろし、紙で編んだ静寂の指輪をはめる。これで万が一事故が起きても、とんでもない場所に跳ばされる心配は無い。
魔物を呼び出したとしても、目の前の階段を一目散に駆け上がればそれでおしまいだ。
道具袋の口を広げ、中から一冊の本を取り出す。
「まずは”知者の加護”だ。これさえ覚えておけば他の魔法書も読みやすくなるからな。頭を使っていこうな」
誰に聞かせるでも無くひとりごちる事で、魔法書を正しく読み解く舌の準備運動を兼ねる。
そして、背を伸ばして立ったまま書物を胸前で開き、最初の一文を読み出した。
*ぼしゅるるるん*
「うわッ‥‥ぷぷ、幸先悪いな‥‥え?」
突然どこからともなく溢れ出た白い煙が晴れると、一匹のイークが現れた。
今にも破裂しそうな赤い体のそいつは、階段の途中で座り込みながら周囲をキョロキョロと見回している。
地下と地上を結ぶ階段の途中で。
「まずい。ここで怒らせたら爆発する。まずい、まず」
目が合った。
思わず背後の扉まで後ずさり、後ろ手に取っ手をガチャガチャと揺らしていると、目の前の人間が自分より弱いと判断したのか、赤いイークがわめきながら階段を降りてきた。
「ひいっ、ままずいまずいまずい!?」
半ば無意識に指輪を引きちぎり、咄嗟にショートテレポートを唱える。

排水溜まりに尻から飛び込むと同時に、どこか遠くで小さな爆発音が轟いた。
「‥‥ぷはっ、ゲェッホ、ゲホッ!」
むせ返る汚濁を押しのけ、命からがら通路に這い上がる。
「はぁ~~、酷い目に遭った。ああ、こんな匂いで帰ったら母ちゃんに怒られる」
暗くてよく見えないが、油か何かで体中がぬらついている。町に戻るだけでもガードが声をかけてくるだろう。
息が整うのを待ち、暗鬱な気持ちで通路の奥へ歩きだした。
「今日はツイてないや」

ポンソーがかき乱した水面のゆらぎは、彼が立ち去った後もうねり続けていた。

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